話はきのうに遡るんだけど、転院作業を一区切りさせて、一風堂でランチ食って、帰宅したときのこと。
家の玄関前の様子がいつもと違うので、あれ?っと思った。
うお!表札が割られてる。
小学生のいたずらかと思ったが、考え直すと接着剤がダメになっての自然落下が原因。
そして、表札が陶器製だということに初めて気づいた。
残骸を持って、母に報告に行ったら、「縁起でもないわねえ」と、まあ当然の答えが帰ってきたw
ま、普通考えるよな。
とにかく、家屋も半世紀。あちこちガタガタである。
ともあれ、表札はイマドキはネット注文か、と検索&オーダー。
しかし、それまで表札なしってのもなあ、と思い、スピーカーの端材で作ることにした。
10年近くほったらかしの21mm厚合板になぜか適当なのがあったのでそのまま流用。
問題は字は自分で書かなくちゃいけないこと(笑)
とりあえずは許してくれ(^◇^)
ということで、今朝。早朝。5時過ぎ。
病院からTEL。
なに?と思ったら、父が息をしてないので、延命措置中。すぐ来てくれという。
寝ぼけ眼で、えーときのう転院したばかりだよなとか思いつつ、母と弟を起こしてザビQ。
病院に着くと、もはや復活はないので、ご了解をいただきたい、とのこと。
もちろんそれでよし。
家族で見守る中、延命措置を中止して、ドラマみたいに脈拍メーターがゼロでまっすぐになる。
5時47分、父永眠。享年92歳。
直接の死因は、心不全となってるが、腎不全もあるし、老衰だと思っている。
そこからは粛々とした展開で、きれいにしてもらって、しばらく家族で過ごして、病院の地下の霊安室に移動して、そこで提携葬儀社と今後の打ち合わせ。
母と弟の心情はオイラには全然わからないのだが、オイラは完全に仕事モード。
たぶん、出棺とか涙する場面はこれからあるんだろうが、遺産整理が終わるまでは、ザビエル戦闘モード80だと思う。
ま、ヤリすぎないように、なるべく緩めていきます(^^) (ま、max80%運行の人なんで大丈夫よw)
10時過ぎ、日々の朝飯時間には帰宅して、普通に朝ごはん食べて、昼メシは家族それぞれカップ麺。
オイラは先日サミットで買ったペヤング青じそがここぞとばかりに登場。
うーん、ちょっと草っぽいw
あ、あとちょうどオイラの処方もあったので報告も兼ねて、昼前に良子先生。
良子先生からも、あまりにも急のようだけど、実はお父様の計画通りかも、言われたが、オイラもそう思っていたのだ。
自宅にいたら、まだ生きてたとは思うが、徐々に言うことを聞かなくなる自身の体と日々対峙し続けることになる。
ましてや自宅で死んだら、家族の負担も大変。場合によっては警察も来る。
かといって、入院もイヤだけど、転倒骨折なら仕方がない。
そして、救急病院で巌窟王状態では死ねないが、家族がすぐ来れる「グランドホテル」ならOK。
しかし、そこでまったりしてると、大部屋行き。それも避けたい。手術やキツいリハビリもしたくない。
内臓不全で苦しみたくもないから、なんかよくわからない状態の寝てるうちに安らかにいこう。
家族の集まれる時間、看取ってもらえる時間、無用なカネをかけない、その後の葬儀等のスムーズな日取り決定、、、すべてが父の合理的精神にかなっているのだ。
となると、「表札のかけかえ」も、家族に譲ったよ、という合図だったのかもしれない。
良子先生の言葉を借りれば、「お一人で旅立たれたのも、お母様や可愛い息子さん達にツラい場面を見せたくなかったお父様のダンディズムだったように思います。」
オイラはダンディズムという言葉にグっと来たし、父に捧げる最高の褒め言葉だと思っている。
人の生き死にはほんとのところよくわからない。
しかし、自然必然なのかもしれない。そして思ったほど苦しいものでもないようだ。
それは、父の顔を見れば伝わってくる。
葬儀はごく小規模な家族葬。mixiやフェイスブックのコメントも目を通したり返信がたいへんなので、皆様におかれては、その場で偲んでいただき、イイネのみで気持ちを伝えていただければ、この上なく嬉しい。
ありがとうございました。
χανι@67.7kg